ミニマリストになりたくて、何年も前からモノを少なくしている。
んだけど、時々「わー!捨てすぎたー!」と泣く事多し。修行が足りないのかなー😭
何でミニマリストになりたいのかと言うと、30年近く前に見た韓国映画「達磨は何故東に行ったのか」に大きく影響を受けてるんだわ。
監督 ペ・ヨンジュン
出演 イ・パンソヨ 他
仏教に身を投じ、着物一つお茶碗一つ、その他のものもごく少なく、それらを1つの箱に入れて移動し、最後はその箱を棺にして逝くという僧侶。
その僧侶に赤ん坊の頃に拾われ、その教えの通りに育ち、僧侶が亡くなった後は何にも執着無く遺品である僧侶の着物さえ躊躇無く燃してしまう小坊主。
散々悪事を重ねて仏教に逃げてきたが、僧侶達と行動を共にする内に心身共に成長して俗世に帰り母親との関係を見つめ直すチンピラ。
この三人三様の行動を観ながら自分自身と禅問答をしてる気がする、とにかく物凄く「変」な作品だった。
大好きなのよ、これ。
で、得た結果が「めざせ!ミニマリスト」だったんだよね。
持ち物も感情も色々持ちすぎて面倒臭い事多いので、なるべく少ない物で風通しよく生きたいと思ったのよね。
持ち物の整理。感情の整理。
そうやって取り敢えず要らないか?と思うモノを捨てたり捨てすぎたりしてる時に出会ったのが「断捨離」と言う概念。その後やましたひでこさんがわかりやすく本にしてくれたし、彼女はそれで名をなしたね。
そうだよね。断つ・捨てる・離れる。自分の心と体を少しでも健やかに保つためには、これ絶対に必要だと思う。
でもね、捨てるって言うと何でもかんでも捨てれば良いと思ってわしのように最初は大失敗する人達もいるらしいですわ。幾ら古くてもボロボロでも、かつての自分を作り、且つまた今の自分にまだまだ栄養を供給してくれてるモノ達は捨ててはイカン!凄く後悔して暫く引きずるよ。でも、その感情もまた楽しい。かな?
そのモノとの「長いお別れ」をしてるのかも知れないね。特にもう手に入らない絶版の香港関係の本。読み直したいと思う時手元に無く、何と無く「親孝行したい時に親はなく」に似てるか?とか漠然と考える。🧐チガウダロー
捨てて良いのは「気に食わないのに何故かそこにある物」だったり「誰かに貰って恩義を感じるから取り敢えずしまってある物」「もう散々使って役目を終えたにも関わらず、何と無く取ってある物」。
何故かこう言うのが場所とってたんだよね。ウチでは。
恩義を感じて。これが1番だったかな?昨日書いた「友達が持ってきたグラスや湯呑み」もこれに当たるのよね。うーーん。
これらは「整理して収納しておく」ものではない!断じてない!
最初にやましたひでこさんが断捨離を提案し出した時に、お名前忘れちゃったんだけど既にご高齢の男性が「綺麗に収納すればいいんだ」と反論してた時がありましたな。あれ誰だった?確かどこかの大学の先生か作家だった気がするんだが……。忘れた。
で、とある雑誌で特集を組んで「断捨離VS収納」なんてやってたのよね。
すっきりとものが少なく片付いている風通しの良い部屋と、収納家具やケースにキチキチに詰め込まれてキチキチに積み上げられてる部屋。
最初はどちらが良いか悪いかとかの判定を見てる人に決めてもらう様な所があった特集だけど、こう言うのって人それぞれなので正解なんて無いのさ。
どちらが良いとか悪いとかでは無く、どちらにいると気持ちが落ち着くか。これ重要。
それに沢山ものがあったとしても、自分で管理出来てれば何の問題も無いんだし。
収納爺さんは「俺が正しい」位の勢いを感じる発言してたけど、あの方その後どうされたのかな。今もお元気で収納したモノを出したり仕舞ったりして活用されてんのかいな?
問題なのは、管理しきれてないのにそこに何と無く有る不要なもの達からの脱却なんだよね。
我が家では沢山有るのをある程度整理して収納し、季節ごとに入れ替えて部屋に飾る。
写真やカエルグッズでこれが出来るようになったのは大きな進歩だった。
以前は重い重いアルバムがドッサリ。あちこちにカエルグッズがゴロゴロ埃を被ってお掃除のたびに拭き取るのが大変だったけど、今は写真達は1つの箱に年代ごとに整理されて仕舞われて、写真を見たい時にその箱を持ってきたり、トイレの中でぼんやり眺められる様にしてあるので壁に吊るした写真入れに色々入れ替えてみたりしてるし、カエルグッズも物語を作って季節で変えて楽しんでる。
これで良いよー。
断捨離って、自分の心との対話なんだよね。誰かに強制されたり強制したりするものでも無し。気持ちよく暮らす1つの生き方。
だから自分が死んだ後このモノ達がどうなるのかはまた別の話として、出来るだけご迷惑にならない様にはしたいよなとも思いますが、どうなることやらだ。