1965年
監督 市川崑
アジアで初めて行われたオリンピックの記録。最初オファーされた監督黒澤明が降りてさまざまな監督に声をかけて断られ(たかどうかは知らんが)結局市川崑に落ち着いたと言うエピソードを持つんだって。
市川崑監督はスポーツに関心無かったんだとか。なんで受けたんだろね?大人の事情かしらん。ドキュメンタリーも撮ったこと無かったとか、もうエライ仕事を引き受けてしまったのですね。それ聞いてただただ「お疲れ様でした」ですよ。
だって面白く無かったもん。
ごめんなさいね。長いから倍速で観ましたけど、それで十分でした。競技は元より音楽すら倍速で丁度良いなんて!1964年当時って、なんでのんびりしてたんでしょう。
でも参加した選手達の活躍や当時の雰囲気を感じるにはとても良い記録では有ります。
「東洋の魔女」の1人が試合の途中レシーブで床に転がった後、大急ぎで床に着いた汗を自分のハンカチで拭いてそれをブルマーの裾に突っ込むとか言うビックリするシーンが有ったり、走り高跳びの決勝に負けたドイツの選手が競技を終えて帰る時上着のポッケから小さい櫛を出してプレスリー風の金髪を整えるとか。
ああ、これこそ市川崑監督だよなと思う。
オリンピックを見ている人達を写した方が面白いものが撮れてるって言うのが、なんだかおかしい。NHKも制作に加わってるんだから、競技記録はNHKで撮影編集をして、オフや練習中の選手や観覧してる人々の姿を市川崑監督が担当した方がより良いものが出来たのでは?とか素人は思ってしまうのでした。
これって仕込み?余りに映画的な観客席の姿だね。
走り高跳びの準優勝ドイツのイケメンはオシャレさん。
私達の世代🤣皆さんお元気ですかー?
多摩地区のお年寄り達。皆さんアチラでもTOKYO2020楽しまれましたかー?自転車レース見てるだな。
自転車レースはおうちの縁側からも見られたんだね。こう言うシーン市川監督っぽいよね。
東洋の魔女が戦った相手の1人は、ジャンプした時何故か仲間のシャツまで捲り上げる大サービス。当時のおっさん達思わず「おお❣️」ってなったかな?
昭和のお母さんと坊や。
便所は男と言う意味らしい。
お!スターも来てたか。
マラソン選手達の汗まみれは気の毒で見ていられません。スケスケになっちゃってるし、これでは体も冷え切っちゃう。今は改良されたウェアーが着られるようになって良かったね。
この時優勝したエチオペアのアベベ選手はしっかり靴下履いてランニングシューズも履いてますけどー。何故この人は裸足のアベベと言うイメージがついたんだろう?確かに黒人選手の中には裸足の人もいたけど、足が傷ついてかわいそうな位でした。
ライブで見ていた6歳のわしの記憶には「アベベさんは裸足で走った」となってたのよね。
やーねー。
そう言う意味では、観て良かったなとは思います。
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